京都の旅10
また更新遅れました。って誰も期待してないけど。
最後の日は商人の街「堺」に。

「妙国寺」というお寺に行って参りました。
境内には樹齢1,000年を超えるソテツがあります。国の天然記念物にも指定されています。
かつて、織田信長がこのソテツを気に入り、安土にもって行ったそうだ。しかし、ソテツが「堺に帰りたい、帰りたい」と泣き出したという。
怒った織田信長はこのソテツを切り刻んだが、ソテツから鮮血が吹き、大蛇の如く悶絶したため、妙国寺に返したというエピソードがあります。
あと、幕末に起こった堺事件の藩士、切腹の場としても有名です。お寺の中にはその切腹をした藩士達の遺髪、酸化するはずの血が未だに赤々と残った三方(切腹用の短刀を乗せる台)などが展示されていました。
拝観は、後から堺市の観光HPを見てみると要予約と書いてありました。何もリサーチせずに直接足を運んでしまいましたがその日はすごい雨
だったせいか拝観は僕一人。解説のボランティアさんが居て、解説を聞きながら拝観させていただきました。
妙国寺を後にして、南海電鉄の堺駅から「住吉大社」にも行ってきました。


雨の中の神社もまた風情?豊臣秀吉の側室の淀殿が贈った「反橋」。雨に濡れた朱色が実に美しい。
最後の日は商人の街「堺」に。

「妙国寺」というお寺に行って参りました。
境内には樹齢1,000年を超えるソテツがあります。国の天然記念物にも指定されています。
かつて、織田信長がこのソテツを気に入り、安土にもって行ったそうだ。しかし、ソテツが「堺に帰りたい、帰りたい」と泣き出したという。
怒った織田信長はこのソテツを切り刻んだが、ソテツから鮮血が吹き、大蛇の如く悶絶したため、妙国寺に返したというエピソードがあります。
あと、幕末に起こった堺事件の藩士、切腹の場としても有名です。お寺の中にはその切腹をした藩士達の遺髪、酸化するはずの血が未だに赤々と残った三方(切腹用の短刀を乗せる台)などが展示されていました。
拝観は、後から堺市の観光HPを見てみると要予約と書いてありました。何もリサーチせずに直接足を運んでしまいましたがその日はすごい雨

妙国寺を後にして、南海電鉄の堺駅から「住吉大社」にも行ってきました。


雨の中の神社もまた風情?豊臣秀吉の側室の淀殿が贈った「反橋」。雨に濡れた朱色が実に美しい。
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